産業革命の後から人間は、大きくて、重い、物作りが可能になり、技術が進化すると同様に、科学も発達し、クローン、コンピューター、AIを作れる程になりました。

それと並行するように、神社仏閣めぐり、パワースポットめぐりが流行し、瞑想やヨガのように内観し心の声を聞くワークに参加したりと、スピリチュアルの目覚めが大きくなった今では、多様な選択肢っを持てるようになりました。

物質世界とスピリチュアル世界は全く波動が違います。

物質世界の波動は重く、粗く、辛くて息苦しいものです。

人間で言えば下半身です。あるいは肉体そのものです。

それに引き換えスピリチュアル世界の波動は軽く、細かく、神秘的で聖なる世界です。

人間で言えば上半身です。このように人間は 波動の違う2つの世界で生きているのです。

ではどのようにして波動の違う世界の中で人間は生きることができるのでしょうか。

人間は 肉体と、ヒューマンエネルギー体、スピリチュアル体を同時にもつ生き物です。

目で確認取れるのは肉体ですが、エネルギー体は視覚化できないので知らないだけです。

分子構造を持つ肉体は重力がありますが、エネルギー体は重力はありません。

また エネルギー体の神聖さの領域がスピリチュアル体です。

これはエネルギー体の中でも非常に軽く、透き通ったクリアなエネルギーで、かなり浄化されていると発揮されます。

両者の全く別物を結びつけているのが、いわゆる「愛」のエネルギーで、愛があるからこそ、心地よいイメージしたものは願望となって実現しますが、心地よいものではなく、嫉妬、妬み、怒り、屈折の中でイメージしたものは、心地の悪い願っていない現実を創ってしまうものです。

スピリチュアル的に生きようとすると、聖なる神聖なものを身近においてパワーを頂き、護られているという安心感は人類の普遍にあるもの。また 愛に満ちた偉大な方々のようになりたいという思いもあります。

波動の高いスピリチュアルスマインドを維持したければ、「愛」の思いやりの日々を過ごすことで実現します。

低く思い重力の中では苦しさもひとしおで、「神聖さ」の入る余地がありません。神聖さに導くのが「愛」です。

「愛」という架け橋によって人類は知恵者であり、愛を元に様々な行為をすれば多くの豊かさが巡ってくるでしょう。