人類は支配するような人に怯えてします傾向があります。権力/支配者はその権力を使って、弱いもの、言うことを聞きそうだという人を嗅ぎ分ける鼻を持っているので、そう人を見つけると、嬉しくなっていじめてきます。相手は餌食になるのです。
弱いものはまるで奴隷のように「すみません,すみません」と意味なく謝り、支配者はますます傲慢になり、嫌がらせがきつくなります。奴隷は好き放題している彼らに憎悪を覚えますが、賄賂を送り権力に媚びを売り、支配側になると同じような人種の仲間になります。
それは 権力/支配側になると「好き勝手が出来るという自由さ」を求める、単純/短絡的な思考が一番の目的になっていますが、自由には責任が求められているのですが、奴隷からの開放によって何でも好き勝手が出来ると考える人達は、人権を考えずに行動を起こしてしまうのでしょう。
逆に 自由が怖いという人たちもいます。「自由になると権力/支配者のようになって世間から睨まれる、見放される」という思考グセの人達もいます。自分がそうなってしまうのではないかと。そうすると、奴隷のままで良しになってしまいます。
しかし 自由には責任が伴うので、責任ある行動、責任を持って言動する、事ができれば怯えることはないのですが、普段責任感を強く意識していないと、なかなか自身もありません。というのは 100%完璧なのは神の領域ですから。
責任あることとは、誰かの責任を自分が取ることでもありません。誰かの不祥事や、困り事を身代わりになることではありません。
人という字は、日本の足で立つ—自立を意味していると言われています。体験したこと、経験したこと、賢者の言葉も学びです。
奴隷意識の国民は支配者にコントロールされています。そこから抜けるためには、他者に責任を被せることなく、自分で責任を負う覚悟で行きていこうとする意思が必要です。
奴隷意識はエジプトの時代よりずっと前のシュメール文明の時代、古代の地球人を奴隷化した古代宇宙人の時代から、人類の潜在意識にある罪悪感と奴隷思考からアセンションの時代の令和脳に切り替えていきましょう。
なかなか難しいと思われる人は、ヒーリングにお越しください。どんどん変わって楽になっていきます。