無条件の愛は相手に敬意をはらうこと

無条件という条件のない世界にいるというのは、

歪んだ自我のない世界にいることと同じで

差別の区別も権力も被害者も加害者もない世界

それが ほとばしる愛によってなされたら

無我になるでしょう

 

それを突き詰めていたら、わかったのは

謙遜でも、尊敬でもなく

敬意を払うことだとしみじみ実感しました。

 

その後は 誰にでも敬意を払うことが普通になり

自他の行動、言葉、思いにも敬意を払っている「私」にであうでしょう。

すると 今まで普通であったのができなくなり、

無意識ではなく、より慎重になっています。

 

良し悪いでも、善悪でも、正義でもなく

それらのジャッジは全く脳からなくなるでしょう。

どのように思い、どのように考えているのかも

敬意を払うと、どのようなことも間違ではないと、思えるようになりますが、

わかっているのは、

その判断は魂を苦しませている

その決定は傷を作っている

その思考には愛を遮っている

だけです。

 

もし 誰かをジャッジしていたら

「ジャッジしている私」は、

「ジャッジされている私」にもなる悲しさを

想像してみてください。

そして ジャッジしていることをノンジャッジして

無条件に受け止めて

「ジャッジしていない私」に敬意を払ってみてください。

 

今 とても素敵なエネルギーが流れています。

受け取って受け入れてみてください