罪悪感とそのレッテルを自分自身に貼ってしまうのは、かなしいことです。

もちろん 相手に貼ってもしまうのも悲しいことです。

罪悪とは、罪は悪いもの—だから 謝る、謝罪することなんでしょう。

許すのも、許さないのも、別れるのも、その時期が来たからそうなったからで、もともとご縁がなかったのかもしれません。

 

お互いが引き合っているときはそのようなことは起こりません。何かしらの作用が働いたのかもしれません。

仕事でそんな事を言ったら怒られますが、本当はそんなものです。早いか遅いかだけです。

気遣いをし過ぎて噛み合わないことがよくあります。「噛み合わないのは私のせいだ」では成長がありません。

「もっと工夫をすればよかった」と思うのは、成長があります。

「工夫しなかった私が悪かった、失敗したのは私のせい」と思うのは成長がありません。

成長を拒む習慣があるのか、成長したくないのか、感傷に慕っていたいのか、くよくよするのが好きなのか、

それならそれでいいではないですか。「わたしはそうしたいんだ!」「私はくよくよしたいんだ」と納得してみてください。

それなら うまくいかなかったことに腹が立ちません。いつでもくよくよしたいのだから—

自分の行動や意識、思いに寄り添って、見てください。案外 「だめな私が好き」 なのかもしれません。

その時は ダメ出しせずに思いっきりつまらないことを口走っても良いと思います。そして スッキリしたらもう言わないことです。

あとは 前向きな私がでてくるはずです。

その時でてきた言葉に自分でも驚くはずです。

やってみてください