幸せになる定義には色々ありますが、この世で行きていくには頑張るって言う言葉が必要だったりします。

頑張って何かを成し遂げる、目標を達成するために頑張らないとできない、誰かに認めてもらうために頑張っている姿を見せる、頑張っていないと怠けていると思うし、人にもそう思われる。

楽しくてやっていたことがいつしか楽しくなくなって、それがまるで行を積んでいる修行僧のようになって、自分との戦いになったりします。野球選手であったイチローがそんな事を言っていました。

修業とはストイックな感じですが、スピリチュアルな道も法則に従って歩んでいくことがもしかしてストイックさに映る場合もあるかもしれません。しかし根底にあるのは他者愛なので、自分の欲得で生きているうちは幸せにはなれないでしょう。

なぜかというと本当の私は私だけが得したいとは思っていないからです。本当はあなたが手を差し伸べた人にありがとうと言われて喜んでもらいたいはず。

でもなんて言われるかな?喜んでもらえるのかな?余計なお世話って言われるかな?出過ぎたことかな?などと考えて余分なことはやらないにしようと思いとどまります。

私の気持ちを優先せずにあなたの気持ちを優先すると。あなたの気持ち、心を知るには憶測でしかありません。憶測で選択して決定しようとします。

スピリチュアル的生き方では、あなたの気持ちは解りませんが、私の気持ちは解ります。いまやろうとしていることで心地よい気持ちになれているでしょうか?心地よさを感じたらきっと相手にもそれは伝わります。

その時はきっと頑張っていないはず。頑張って相手に合わせていないはず。私の気持ちを大事にすると、やってはいけないこともやったほうがいいことも解ります。

あなたが幸せになることを願っています。